子どもと人権講座 内藤朝雄准教授のおはなし

教育委員会が開催する「子どもと人権講座」の1回目に出席した。

いじめの構造について、明治大学文学部の内藤朝雄准教授のお話で、
~学校という閉鎖空間の同調圧力が人を怪物にする~というサブタイトルがついていた。
アカデミックでテクニカルでリリカルな表現に惹かれた。
3分ほど遅れて席についたが、不思議な雰囲気の先生のお話に秒殺された。

なぜ、いじめが起きるのか。
いじめの構造について粛々と冷静に解析されている。

子どもたちは群れの場の中で「空気」や「ノリ」を常に感知しながら生活している。
場の中には「秩序感覚」があり、それは聖なるもので、畏怖の対象であり規範の準拠点なのだという。
それは一般社会における法律やルールよりも絶対的なもの。
長い年月をかけて人類が獲得してきた普遍的なヒューマニズムよりも上位のもの。
だから、他人のいのちすら軽視する。

そういう感覚は、学校では濃縮しやすいという。
だから、内藤准教授は暴力系のいじめには市民社会と同じように警察の介入が必要だし、コミュニケーション系のいじめには、物理的に広い空間を保障すればなくなっていくという。
学校は子どもたちを生徒に仕向けていく機関であり、生徒であることよりも市民であることを学ばせていくべきだという。

自分のことを振り返っても、群れることが好きじゃないし、面倒臭いなと思う。
特に、中高生の頃は女子の場合、誰かと一緒に行動するというのが暗黙の了解になっていて、
それがどうにも暑苦しかった。「変わってる」と思われていても、全気にせず、むしろそういう自分に自信があった。たぶん、今もそれは基本的に変わっていないと思う。

アニマル・ディスタンスというのがあって、親しいほどその距離は短いのだそうだけど、物理的な距離だけでなく精神的・心理的な距離というのもある。

「面倒くさい」という感覚はそれほど蔑にするべきものではなく、むしろそれは自分を守る直感かもしれない。

よく人間を性善説と性悪説で観る観方があるけれど、
内藤准教授のおはなしを聴くと、環境や状況によって人間は聖人にも怪物にもなるのだということがわかる。

内藤准教授は同性愛者を例に出し
「共感しあえない人が共存しているという認識を持ち、同時にそれを壊すものを許さないことが大事。」とおっしゃっていた。私も同感だ。
またいじめをなくすというのではなく、いじめを少なくするエスカレートしないようにすることが大事とおっしゃっていた。人の中の心のひだというものは、そうそう単純なものではない。何がいじめで、何が懲らしめで、何か指摘で、何が注意なのか線引きは難しい。相手と自分の捉え方も違う。

私は、時々、ものすごく自分は孤独だなぁと思う。
決して、孤立はしていないけれど、誰も絶対に理解出来やしないと思う世界がある。
でも、別にそれは辛いことではなく、たぶん、それは誰にでもあることだと思う。

誰もが1人で生まれ1人で死んでいくみたいなものだ。
だけど、いじめられて自分を拒否され否定され孤立化させられるということは
死ぬより辛いことなのだろう。
人が人と結びつける社会、助け合える社会、補える社会が大事だ。
私はそういう社会をつくるために貢献したい。
プロフィール

大村洋子

Author:大村洋子
大村洋子
50歳。横須賀市議会議員2期目。
暮らし、福祉、平和のため日々奮闘。
人と語り合い、本を読み、映画を観る。
駅で訴え、ニュースを書き、ブログを更新。
インプット&アウトプットの毎日。

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