第60回浦賀みなと祭

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日中は雷と土砂降りで大変だったが、夕方5時、浦賀のみなとは穏やかだった。渡船に乗るお客さんもいつもより多い。

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はじめに関東大震災受難者慰霊法要。

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その後、水難者、引揚船関連戦病死者及び浦賀・鴨居地区の戦争犠牲者の慰霊法要。浦賀からは65万人の引揚者があった。コレラの蔓延で上陸できなかった人々もたくさんいる。同じ引揚の歴史を持つ舞鶴市には記念館があり、視察に行ったことがあるが、本来ならば浦賀にも歴史観や記念館を設置し後世にしっかり伝えるべきだと思う。今回で60回を迎えることを機に浦賀・鴨居地区の戦争犠牲者の慰霊法要も行うこととなったという。

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浦賀港引揚記念の碑前で奉納舞


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暗くなってからは、花火が上がり詰めかけた人々を楽しませた。浦賀の花火は三浦半島で一番はじめに行われたというから今でこそ海岸線がある町々ではどこでも行われているけれど、浦賀が先陣を切ったってことで、すごいなぁと思った。それはたぶん、まちに活気があった、お金や住民の力もあったってことだろう。


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大灯篭。中島三郎助。

海からも釣り船に乗ったお囃子が巡っていた。川のような海の対岸は東浦賀。遠方には房総半島を望む。このロケーションは浦賀ならでは。浦賀小学校と高坂小学校の児童が描いた小さな灯篭も夕闇にたくさん映えていた。

住友重機械工業株式会社との懇談

9年前の3月、浦賀にある住重の工場が閉鎖された。
以来、浦賀の港のぐるり(の土地)がいったいどうなるのか、浦賀の住人達はずっと見守ってきた。

浦賀選出の議員は6人。
政党・会派を超えて、浦賀のまちの活性化は誰もが第一義に考えているはず。

住民がてんでバラバラに夢を描き、浦賀のまちづくりをイメージしても土地は住重のもの。所有者がどうしたいと考えているのかが、なんといってもネックとなる。

今日の懇談で、所長さんは饒舌に会社状況をお話されたあと、最後に「07年に5~10年くらい凍結させてほしいとお伝えして以来、今も変わらずで、際立って何か動きがあるものでもない。」とおっしゃった。

選択と集中で10トンクラスの船にしぼり今年は5隻、来年は3隻建造する予定だそうで、リーマンショックと東日本大震災でダメージを受け、この数年ががんばりどころだという。

それでも年間6000億円以上の売り上げをこの数年維持し、1万8000人の従業員がいるという。

私は浦賀と住重は持ちつ持たれつの関係。住重にも浦賀のまちづくりには責任があるのではないかと自分の考えを述べた。

もう過去のように浦賀が製造の場になることもないし、住重自身が製造のほかにたとえばサービス業などで経営展開するつもりもないという。しかし土地の売却や貸付などは行うという。つまり、自分たちでイニシアチブをとって、今の状況を好転させようという気はさらさらないように私には映った。貸してくれ、売ってくれというところが現れれば対応しようくらいにしか考えていないように感じた。

企業とりわけ大企業にとって立地するまちとはなんだろうか・・・・?と率直に疑問を感じた。

儲けたいだけ儲けて、儲けられなくなったらおしまい。跡地は売れも貸しもできなければ放置。あぁ、言わなくていいことまで、言っちゃいそうだ。

今まで、お世話になったのだから・・・企業が撤退する際、そこのまちに恩返しするというのが、ヨーロッパなどでは通例になっていると聞いたことがある。最近よく言われている企業の社会的責任ということもある。

土地は住重のものだから・・・ということで、ただ待っていればいいのだろうか。釈然としない。

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我が家ではへちまの花を「へち子さん」と呼んでいるさしあたって、この子たちは「へち子3姉妹」ってところかな。

中島三郎助まつり

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浦賀生まれの浦賀育ち14歳で与力見習いとなった中島三郎助。

1821年1月25日生まれ、生きていれば191歳。

その中島三郎助のおまつりがあった。

特設舞台の進行役を浦賀中学の女の子2人がつとめた。

明瞭な若々しい声が住重工場の中に響き
新鮮な感じがした。

昨年、視察で函館へ行った際
「中島廉売」へ寄る機会があった。
文字通り、中島町の地元の市場で安くて良いものが手に入るところとなっている。
函館には中島町があり、中島三郎助を大切にしている。
浦賀は実際、函館に負けている。
「中島三郎助と遊ぶ会」のみなさんをはじめ
中島三郎助を愛する気持ちは函館に負けないけれど、
本音を言えば、もっともっと観光客を呼べるほどに
まちの整備が必要だと思う。

函館と浦賀では観光にかけられる予算が全然違うと言えばそうだけど、
いつも思うに、浦賀は本当はもっと光があてられるべきところだと思う。

粘り強く、私も働きかけていきたい。
浦賀の行事に出るといつもそう思う。

第59回浦賀みなと祭

今年はいつもの大灯篭がなかった。
東日本大震災の関係で自粛だろうか。
そのせいか、露店も並んだが、人の出が若干少なかったように感じた。


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渡船横の碑の前で、
「関東大震災受難者慰霊法要」が行われた。
88年前に起こった関東大震災では
浦賀も大変な災害に見舞われ、
記録では313名もの方々が亡くなり
1,107戸の家々が全壊したという。
凪の海と言われる浦賀の港は
3mもの津波が押し寄せ
引き潮では海底が見えたという。


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西浦賀の通称陸軍桟橋(親水公園)では
「水難者及び引揚船関連戦病死者等慰霊法要」が
引き続いて行われた。


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浦賀港引揚記念の碑の前には「中島三郎助と遊ぶ会」の方々のお花が供えてあった。
浦賀というところは
開国、造船で活気あるまちの歴史を刻んでいる
と同時に、引揚の悲しい歴史もある。
まちづくりを考える際、決して忘れてはならない。

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日没間近、般若心経を歌にしたメロディに乗って
6人の女性が舞った。
プロフィール

大村洋子

Author:大村洋子
大村洋子
50歳。横須賀市議会議員2期目。
暮らし、福祉、平和のため日々奮闘。
人と語り合い、本を読み、映画を観る。
駅で訴え、ニュースを書き、ブログを更新。
インプット&アウトプットの毎日。

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